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 § 秋風引
2005年12月01日 (木)

秋風引          劉禹錫


何処秋風至   何処よりか秋風至る


蕭蕭送雁群   蕭蕭として雁群を送る


朝来入庭樹   朝来 庭樹に至る


孤客最先聞   孤客 最も先に聞く

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どこからだろうか、秋風が吹いてくる。
もの寂しい音を響かせて、雁の群を送っている。
今朝がた、庭の木々の間に吹き入ったのを
ひとりぼっちの旅人の身が、誰よりも先に聞きつけたのだよ。


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[ 00:26:03 ]  古文・漢文TB (0) |  CM (1) |

 § 小諸なる古城のほとり
2005年10月20日 (木)
高校生 * 学校・教育

小諸なる古城のほとり
     
雲白く遊子悲しむ
 
緑なす はこべ は萌えず
       
若草も藉くによしなし
          
しろがねの衾の岡辺
     
日に溶けて淡雪流る

 
あたゝかき光はあれど
          
野に満つる香も知らず
 
浅くのみ春は霞みて
 
麦の色はづかに青し
        
旅人の群はいくつか
 
畠中の道を急ぎぬ

 
暮れゆけば浅間も見えず

歌哀し佐久の草笛
 
千曲川いざようふ波の
 
岸近き宿にのぼりつ
 
濁り酒濁れる飲みて
 
草枕しばし慰む

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島崎藤村


「落梅集」より

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『小諸なる古城のほとり』は1900年に「旅情」として発表、その後現行の題に変えて「落梅集」に収録されたものです。

形式は五七調で、この詩は三つの連からできています。
この詩で島崎藤村は、旅人を虚構化された自分としてこの詩を書いています。

〔小諸なる古城のほとり〕、これは旅人が小諸にある古城のほとりにいることをあらわしています。〔雲白く遊子悲しむ〕、遊子は旅人のことで、そこで旅人が白い雲を見上げて悲しんでいます。これは、旅人がとどまっている自分と動いている雲を比べて悲しんでいることをあらわしています。〔緑なすはこべは萌えず〕、これは野にいながら緑になるはこべは萌えないという意味です。〔若草もしくによしなし〕は、若草も腰を下ろすのに十分でない。〔しろがねの衾の岡辺〕は、雲で柔らかく白く輝く岡のこと。〔日に溶けて淡雪流る〕は、日に溶けて淡雪が水になって流れる、と言う意味になります。

季節は春で、晩冬というよりは早春をあらわしています。
旅人が季節は春だと思っているけれども、はこべが萌えなかったり、若草も十分にないという失望した気持ちがあらわれています。しかし、わずかだが淡雪が溶けているという春の予感を感じ、旅人は期待の気持ちをもっています。

〔あたたかき光はあれど 野に満つる香も知らず〕は、あたたかい光はあるけれど野に満つる香はない、という意味であたたかい光というのは春の光をさしています。ここでも、あたたかい春の光があるという旅人の期待する気持ちがわかります。
ここでも旅人の期待が裏切られたという失望した気持ちがこめられています。

〔浅くのみ春は霞みて 麦の色はつかに青し〕は、春霞が浅くかかっているだけで麦の色はわずかに青い。〔旅人の群れはいくつか 畠中の道を急ぎぬ〕は、旅人の群れがいくつか畠の中の道を急いでいるのが見える。なぜ急いでいるかというと、この旅人の群れは道行く行商人などの人々で、その群れが商売で移動しているので、次の宿場に日が暮れる前につきたいから急いでいるのです。したがって、この第二連は時間的にはまだ夕方になっていないので昼間だというのがわかります。

〔暮れ行けば浅間も見えず〕は、夕方になったので浅間山も見えなくなった、という意味でここから夕方になっています。〔歌哀し佐久の草笛〕は、歌や草笛の音が哀しく聞こえる。〔千曲川いざよふ波の 岸近き宿にのぼりつ〕は、千曲川の漂う波の岸に近い宿にあがって、という意味で旅人は千曲川を見たら波が漂っていて自分も漂っている気がして哀しくなっているのです。〔濁り酒濁れる飲みて 草枕しばし慰む〕は、濁った酒を飲んで旅愁をしばらくの間慰むという意味になります。この詩の全体をみてみると、旅人の旅愁があらわれていました。旅をしていて旅人は期待に対する失望や哀しみをもっていました。しかし、失望していはいるけれども本当は早くはこべが萌え、若草も十分に生え、野には香が満ちてほしいという願望があるので、それを強調するために打ち消しで表現しています。

[ 01:22:43 ]  現代国語TB (1) |  CM (3) |

 § 先づ隗より始めよ
2005年10月18日 (火)
高校生 * 学校・教育

燕人立太子平為君。是為昭王。
弔死問生、卑辞厚幣、以招賢者。

問郭隗曰、
「斉因孤之国乱、而襲破燕。
孤極知燕小不足以報。
誠得賢士与共国、以雪先王之恥、
孤之願也。
先生視可者。得身事之。」

隗曰、
「古之君、有以千金使涓人求千里馬者。
買死馬骨五百金而返。
君怒。
涓人曰、
『死馬且買之、況生者乎。
馬今至矣。』
不期年、千里馬至者三。
今王必欲致士、先従隗始。
況賢於隗者、豈遠千里哉。」

於是、昭王為隗改築宮、師事之。

於是、士争趨燕。

楽毅自魏往。
以為亜卿、任国政。
已而使毅伐斉、入臨淄。
斉王出走。
毅乗勝、六月之間、下斉七十余城。
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十八史略

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●燕人立太子平為君。是為昭王。弔死問生、卑辞厚幣、以招賢者

太子とは王の後継ぎ。
為は断定の意で「~である」。
死は「戦死者」、生は「生還者」、辞は「言葉・文章」、幣は「貨幣」の意。

●問郭隗曰、「斉因孤之国乱、而襲破燕。

因(~に因りて)は「~に乗じて」の意
孤は王侯が自らを卑下して言うことば

●孤極知燕小不足以報。誠得賢士与共国、以雪先王之恥、孤之願也。

士は優れた人物
誠は、「本当に」と訳す。

●先生視可者。得身事之。

得は「ぜひとも~したい」の意

●隗曰、「古之君、有以千金使涓人求千里馬者。買死馬骨五百金而返。君怒。

返は帰るという意味

●涓人曰、『死馬且買之、況生者乎。馬今至矣。』

且は抑揚の句法、「~でさえも」と訳す。

●不期年、千里馬至者三

期年とはまる一年。

●今王必欲致士、先従隗始。況賢於隗者、豈遠千里哉。

今は仮定の意味、「もし」
従は、起点・経由点を表す返読文字、「~から」

●於是、昭王為隗改築宮、師事之。

宮は「宮殿」の意味

●於是、士争趨燕。

趨は「帰従する」と言う意味

●楽毅自魏往。以為亜卿、任国政。

亜は「次ぐ」の意味

●已而使毅伐斉、入臨淄。斉王出走

已は「間もなく」と訳す。
臨淄は斉の首都。

●毅乗勝、六月之間、下斉七十余城。

下は攻めおとすの意


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燕人太子平を立てて君と為す。是れ昭王たり。
死を弔ひ生を問ひ、辞を卑くし幣を厚くして、以て賢者を招く。

郭隗に問ひて曰はく、
「斉孤の国乱るるに因りて、襲ひて燕を破る。
孤極めて燕の小にして以て報ずるに足らざるを知る。
誠に賢士を得て与に国を共にし、以て先王の恥を雪がんこと、
孤の願ひなり。
先生可なる者を視せ。身之に事ふることを得ん。」と。

隗曰はく、
「古の君に、千金を以て涓人をして千里の馬を求めしむる者有り。
死馬の骨を五百金に買ひて返る。
君怒る。
涓人曰はく、
『死馬すら且つ之を買ふ、況んや生ける者をや。
馬今に至らん。』と。
期年ならずして、千里の馬至る者三あり。
今王必ず士を致さんと欲せば、先づ隗より始めよ。
況んや隗より賢なる者、豈に千里を遠しとせんや。」

是に於いて、昭王隗の為に改めて宮を築き、之に師事せり。

是に於いて、士争ひて燕に趨く。

楽毅は魏より往く。
以て亜卿と為し、国政に任ず。
已にして毅をして斉を伐たしめ、臨淄に入る。
斉王出でて走る。
毅勝ちに乗じ、六月の間に、斉の七十余城を下す。

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燕の人は、太子平を即位させ君主とした。これが昭王である。
昭王は戦死者を弔い、生還者を見舞い、へりくだった言葉を使うようにし、給料を上げ、
それによって賢者を招こうとした。

昭王は郭隗にこのように聞いた、
「斉はわたくしの国、燕の混乱に乗じてこの国を襲い、破りました。
わたくしは燕が小さく、この恨みに報いるのに国力が足らないことをよくわかっています。
ぜひとも賢者を得て、その者たちと国を共同で治め、それによって先王の恥をすすぎたい、
これがわたくしの願いです。
先生はいい人を紹介してください。
ぜひともその人に師事したいと思います。」

郭隗はこのように言った、
「昔の君主に、千金もの大金を持たせ、宮中の雑用や清掃を行う涓人という役人に命じて、
一日に千里も走るというほどの名馬を買い求めようとした者がいました。
涓人は死んだ名馬の骨を五百金で買って帰りました。
その君主は怒りました。
涓人はこのように言いました。
『死んだ馬でさえ五百金もの大金で買うのです、まして生きた馬はなおさら高く買うでしょう。
名馬はすぐに来るに違いありません。』
まる一年もしないうちに、一日に千里も走るという名馬が三頭も来ました。
もし王が優れた人材を燕に招致したいと思うならば、まず私、隗から優遇し始められよ。
まして、私より賢いものが、どうして千里を遠いとして、燕に来ないでしょうか、いや来るにちがいありません。」

こうして、昭王は郭隗の為に立派な御殿を改築し、彼に師事した。

こうして、天下の賢士は争って燕に向かった。
楽毅は魏から赴いた。
昭王は彼を亜卿として、国政を任せた。
まもなく、昭王は楽毅に命じて斉を攻撃させ、斉都臨淄を占領した。
斉王は臨淄から出て逃げた。
楽毅は勝ちに乗じて、半年の間に、斉の七十余りの城を攻め落とした。

[ 13:10:31 ]  古文・漢文TB (0) |  CM (0) |

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